幻覚、妄想

岡田尊司『働く人のための精神医学』より

早く消し止めるのが一番
 精神的な症状の中で、もっとも注意を要するものとして、幻覚や妄想が挙げられる。幻覚や妄想は、健康な状態では認められないものであり、かつ、単に気分が沈む、意欲が出ないといった症状に比べても、一段と症状が進行し、ある限界を超えかけているサインであることが多い。
 幻覚や妄想は、脳神経の火災に喩えることができる。もやもやとしていたものがくすぶっていた段階が、発火点に達し、ついに炎を上げて燃え上がった状態だと言える。それでも、まだ最初のうちは、炎が小さく消し止めやすいし、ダメージが広がっていないので、消しとめてしまえば、後遺症的な症状も少ない。しかし、燃え上がった状態を放置しておくと、どんどん炎が広がって、症状が激しくなるだけでなく、脳へのダメージも大きく、ついには萎縮を起こし、機能低下に至るということになりかねない。
 したがって、幻覚や妄想が疑われる症状が出たら、一日も早く治療を受けて、脳に起きている異常な現象を消しとめてしまわなければならない。幸い、精神薬理学の進歩により、今日では非常に優れた薬が何種類も登場し、早期であれば確実に症状を取り去ることができる。副作用も少なく、服用しながら仕事をすることも可能だ。逆に、症状が長引いてしまうと、完全に治らなくなる。幻聴といった症状も、半年以上続いてしまうと、治療しても症状の一部が残ってしまいやすい。
 そこで大事になるのは、早期治療で、そのためには、今起きていることが幻覚や妄想の症状だということに気づくことである。ところが、本人にとっては、何か不思議なことが起きていると感じたり、苦しめられているという意識はあっても、それが病気の症状だと気づかないことも少なくない。幻覚や妄想は、症状だと気づく脳自体の現実感覚が侵されるため、それを事実だと思い込み、症状だとは思えないのである。
 しかし、本人自身も何かおかしいという気はしている。本などで調べて、これはやはり病気の症状ではないかと認識できる人もいる。症状なのか実際起きていることなのか、両方の思いの間で揺れ動いていることもある。ある意味、病気の症状だと気づくことができ、治療を求めることができるようになれば、問題は半分以上解決したとも言えるのだ。そのためにも、まず幻覚とか妄想とはどういう症状なのかを知る必要がある。

 気づきにくい幻覚妄想もある
 幻覚や妄想というと、誰の目にも明らかな症状に思えるだろう。確かに第三者が話を聞けば、それは現実の出来事ではなく、異常なことが起きていると、すぐに気が付くだろう。だが、前項で述べたような理由で、意外に本人には、それが頭の中で起きていることで、現実の出来事ではないということが区別できない。また、症状によっては、知識がないと、第三者でも、それが幻覚や妄想の症状だとはわからないものもある。知っておきたい幻覚や妄想についての基礎知識を整理してみよう。
 ①幻聴 幻覚症状の中で、もっとも頻度が高く、特に統合失調症に多い症状である。ただ、幻聴といっても、さまざまな段階や内容のものがある。
 よくあるのは、悪口や噂話が聞こえてくるというもので、笑い声や自分を馬鹿にする声、「死ね」とか「殺す」といった声が聞こえてくるものから、何人かが自分の噂話をしたり、自分のすることにいちいちコメントをしてちゃちゃを入れるというものもある。
 指図や命令をしてきたりするのや、自分の考えたことが声になって聞こえる(考想化声)といったものも、統合失調症に多い。
 軽症のものでは、自分の名前が呼ばれている気がするとか、はっきりとした声ではないが、何か言われている気がするとか、換気扇やエアコンの音にかぶさるように、声がしている気がするといった曖昧なものもある。音楽が聞こえたり、耳鳴りのような物理的な音だけがするというものもある。

 ②幻視、幻嗅、体感幻覚 幻聴についで多いのが幻視である。幻視は、統合失調症でも見られることがあるが、むしろ頻度が高いのは、薬物やアルコールによって引き起こされた精神障害においてである。アルコールでは、小さな虫が見えるというものが典型的である。覚醒剤や麻薬などの薬物によるものでは、人の影が見えたり、壁から手が出てきたり、敵が襲い掛かかってきたりなど、非常に恐ろしい、身の毛のよだつようなものも多い。それから逃れようと、突然駆け出して、転落死したり、車にはねられたりする場合もある。
 実際に存在しない匂いが感じられる場合もある。これを幻嗅というが、もっともよくみられるのは、てんかんに伴う幻覚としてである。短時間だけ、発作的に幻嗅が現れるという場合には、てんかんの専門医に相談した方が良い。
 体感幻覚と呼ばれるものもある。これは、体を触られるとか、体の中に入り込んでくるといった幻覚である。こうしたものは、統合失調症に多い。一方、体の上を虫が這い回っている感じがするというものは、蟻走感といい幻覚とは区別される。身近に多いものとしては、むずむず足症候群がある。これは、特に夜になると足がむずむずして眠りにくいもので、中高年では意外に頻度が高い。蟻走感は、腎不全や肝不全、糖尿病といった内臓疾患でもみられる。

 ③被害妄想、関係妄想
 妄想の中でもっとも多いのは、被害妄想で、自分を周囲のものが意図的に苦しめると思い込むものである。被害妄想は、しばしば関係妄想をともなっている。関係妄想は、自分と本当は無関係なことを、自分に結びつけるものである。笑い声や仏頂面を、自分に向けられたものとして受け取ってしまったり、パトカーが通り過ぎたり、自分が気にしていることが、たまたまテレビや新聞に出ていたりすると、それに特別な意味があるように思い込む。偶然の出来事が、偶然ではなく、意図されたものと思ってしまうのだ。両者が結びつくことによって、トイレに行こうとしたとき、偶然に隣の窓が閉まっただけなのに、自分に対してあてつけに、そうされたように思ってしまう。

 夏目漱石は、被害妄想に苦しんだことがある。イギリスに留学しているとき、トイレの窓の桟のうえに、小銭の硬貨がおいているのをみて、下宿屋の主である姉妹が自分を馬鹿にするためにそうしていると思い込んで、立腹した。それから、彼はついに帰国することになるのだが、久しぶりに我が家に帰って、火鉢に当たっていたとき、幼い娘が、火鉢のふちに、硬貨を載せた。それを見て、漱石は烈火のごとく怒りだし、娘を殴りつけた。妻が驚いて理由を問いただすと、下宿屋のトイレの出来事と重なって、こんな小さな娘が、自分をまた愚弄する気かと、腹が立ったのだと説明したという。
娘が、ロンドとの下宿屋のトイレの窓に置かれていた小銭のことなど知るはずもないのだが、まったく関係のないことが、本人の頭の中では、結び付けられてしまうのである。関係妄想の何たるかを、よく示す一例である。

被害妄想は、さまざまな形に分化する。見張られていると思い込む監視妄想、追われていると思い込む追跡妄想、誰かの視線を感じる注察妄想、毒を入れられていると思い込む被毒妄想などがある。

④誇大妄想、恋愛妄想、血統妄想
 誇大妄想も頻度が高いものである。自分の偉大さや万能感を裏付ける事実を真実だと思い込む。自分が大立者や権勢家であるとか、皇室の出身であると思い込んだり、有名人の恋人や配偶者であると信じていたり、巨額の預貯金や財産があると思い込んでいたりする。こうした妄想を抱いているからといって、何をするわけでもなく、ただそう思ったり、人に語ることで、満足を得ている。こうした誇大妄想は、持続的で、取り去るのが難しい。慢性化した統合失調症に典型的に見られる。
一方、万能感から、実現不能なことを行動に移そうとする場合もある。こちらは、躁状態に典型的にみられる。荒唐無稽の計画を立て、それが実現できると思い込み、実行しようとする。事業を起こそうとしたり、芸能界にデビューしようとしたり、不相応な相手にプロポーズしたりする。無謀な投資をしたり、借金をしたりして、大きな損害が出てしまうことも稀でない。躁状態に伴う誇大妄想は、躁状態の間だけのものであり、やがて躁状態が終わると、夢幻のごとく消え去ってしまう。後には後悔だけが残る。
誇大妄想も心の中で思っている限りは無害である。その人の生きる支えになっている場合もある。しかし、行動に移しだすと、被害が広がり始める。誇大妄想にとらわれ、自信過剰になって行動していないか、わが身を振り返ることができればいいのだが、意気盛んなときには、それがしばしば難しい。やり過ぎていないか、現実を見失っていないか、第三者にチェックしてもらうことも大事である。
⑤微小妄想、罪業妄想、貧困妄想
誇大妄想とは逆に、自分が無価値である(微小妄想)、取り返しのつかない罪を働いた人間である(罪業妄想)と思い込む場合もある。お金には困っていないのに、破産してしまうとか、生活していけないという考え(貧困妄想)にとらわれることもある。これはうつ状態が強まったときに見られやすい。
妄想なので、説得しようとしても、逆効果になる場合もある。うつ状態でも、こうした妄想が現れている場合には、自殺の危険も高く、注意を要する。抗うつ薬による治療では効果がなく、非定型抗精神病薬の方が奏功する場合もある。
⑥自我障害
 幻覚、妄想と気づきにくい症状として自我障害にともなうものがある。自我障害とは、自我の壁が脆くなり、周囲から影響を受けやすくなったり、自分の考えと人の考えの区別があいまいになることによって起きるものである。
 自分の秘密が知られている(自我漏洩体験)とか、自分の考えが周囲に伝わっている(考想伝播)と思い込んだり、逆に、相手の考えがわかるとか、伝わってくる(思考吹入)と感じることもある。自分の意思ではなく、他の存在の意思によって操られると感じる作為体験も、統合失調症では頻度の高い症状である。

 統合失調症とは
 幻覚や妄想がみられる代表的な精神疾患が、統合失調症である。有病率は、一般人口の〇・八%と高く、百人余りに一人がかかる計算になる。比較的身近な疾患である。
 統合失調症とは、一口に言えば、脳での情報処理が活発になり過ぎて、オーバーフローを起こした状態だと言えるだろう。脳での神経伝達を行っている経路にはいくつかあるが、その中でも賦活的な働きを担っているものに、ドーパミンとグルタミン酸がある。統合失調症では、このいずれの経路も、暴走を起こしやすいことがわかってきた。ドーパミンとグルタミン酸は、火と油のような関係で、相乗的に神経の興奮を高める。同時に、活動が亢進し過ぎると、フィードバックがかかり、鎮める仕組みになっている。ところが、統合失調症では、鎮める仕組みが弱く、亢進しっぱなしになりやすい。
 そのため、健常な人であれば、すぐに慣れることができる環境でも、毎回、新しい環境に入って供いくように緊張し、気疲れしやすい。疲れがとりきれずに蓄積していくと、ますます過剰な興奮が起き、不眠や幻聴のような異常な現象に至ってしまう。幻覚や妄想の症状は、働かなくてもいいときにまで神経が働いてしまうことが関係している。
 情報を読み取り過ぎるために、かえって情報処理がうまくいかないということも起きる。無関係なことを関係づけてしまったり、偶然の出来事に意味があるように思えるのも、情報の読み取りすぎに起因している。
 統合失調症では、思考が停止してしまったり、言葉が出なくなってしまったりすることもある。この状態も、神経が働かないために起きるのではなく、働きすぎた結果、オーバーフローを起こして空回りの状態になってしまうと考えられる。
 こうしたメカニズムからもわかるように、統合失調症の人にとって大事なのは、頭の働きが活発になり過ぎないように配慮することである。薬物療法の役割は、神経の働き過ぎや過敏になることを防ぐことで、生活しやすくする。少し働きを抑えた方が、集中力や仕事の効率も高まるのである。近年主流になっている非定型抗精神病薬は、ドーパミンの受容体をブロックすると同時に、セロトニン受容体のうち、2A受容体と呼ばれるものをブロックする。
実は、ここに巧妙な働きの秘密がある。セロトニンの受容体には、1A受容体と2A受容体がある。2A受容体は、神経細胞の働きを活発にし、一方、1A受容体は、興奮を抑えると同時に、DNAの転写を活性化して、神経の修復を促進する。2A受容体をブロックすると、セロトニンは、1A受容体に主に作用することになるので、神経細胞の興奮が鎮めれられるとともに、傷んだダメージを回復させる。
さらに好都合なことに、ドーパミンを分泌する神経細胞にも、2A受容体があるのだが、こちらの2A受容体は、逆に働きを抑える役割をしている。つまり、2A受容体をブロックすると、前頭前野でのドーパミンの放出が活発になる。
この一見矛盾する作用により、意欲や集中力にかかわる前頭前野の働きを高めるとともに、それ以外の領域の働きが活発になり過ぎ、過敏になるのを防ぐという〝離れ業〟を成し遂げる。精神安定剤は、今ここまで進化しているのである。

陽性症状と陰性症状
 統合失調症の症状は、大きく次の五つに分けられる。①幻覚、②妄想、③まとまりのない会話、④緊張病症状、⑤陰性症状である。
幻覚については、先に述べたように幻聴や自分と他人との境界が崩れるような症状が、統合失調症に特徴的に見られるものである。妄想は、奇妙で現実にはありえないような内容のものが典型的だと言える。
まとまりのない会話は、言葉がうまく一つの文にならなかったり、断片的になり、伝えようとする内容が相手に理解できない状態である。いわゆる支離滅裂である。そうした状態のときには、行動もまとまりがなくなり、意味不明の奇妙な行動が増えたり、思考や行動が停止する。本人も、うまく言葉にならない、考えがまとまらないと感じている。
緊張病症状とは、ドーパミン系の過剰な興奮により、激しい興奮状態になったり、かと思うと、まったく無言無動になり、塑像のように動かくなくなったりする状態である。固まったまま無反応になり、飲食物も受けつけなくなる。前者の闇雲な興奮状態を精神運動興奮、後者の無反応な状態を混迷状態という。両者は、突然入れ替わることがある。
陰性症状は、意欲が低下したり、ひきこもったりするものである。これ以外の四つの症状は、陽性症状と呼ばれる。陰性症状は、症状としては目立ちにくく、病気の症状とは思われない場合もある。最初、陰性症状だけで始まる場合もある。逆に、陽性症状が治療によって改善したものの、陰性症状だけが残り、不活発な状態が続いてしまうということも多い。若い人が、理由もなく次第に無気力になり、ひきこもりがちになるという場合、統合失調症が発症し始めている可能性も考慮する必要がある。
これら五つの症状のうち二つ以上が認められ、それが六か月以上にわたって持続し、かつ日常生活や社会生活での機能が低下してきている場合、統合失調症と診断される。同様の症状がみられるが、まだ始まってから六か月以内の場合には、統合失調症様障害と呼ばれ、暫定的な診断となる。
 症状だけでなく、症状の持続や機能の低下が診断基準に盛り込まれているのは、統合失調症が一過性の疾患ではなく、慢性進行性の疾患であることによる。一過性にすっかり改善すれば、仮に症状がそっくりでも、統合失調症ではなかったということになる。

 注目される認知機能障害
 診断基準にはない症状であり、一見しただけではわかりにくいのだが、生活能力や職業能力を低下させている要因として、統合失調症にひそむ認知機能障害が注目されている。認知機能とは、言い換えると、情報処理の能力のことで、記憶力や注意力、言語的な能力だけでなく、表情を読み取る、紐を結ぶといった非言語的な能力も含まれる。統合失調症の人では、注意力や短期記憶(ワーキングメモリー)が低下しており、そのため、たとえば、聞き取りが苦手であったり、作業的な能力の低下もみられる。
 認知機能障害は、病気が発症するよりも前から始まっていて、後から考えると、以前はよく勉強できたのに、机の前に坐っていても、勉強に集中できなくなり、一二年前から、成績も下がっていたといった経過がみられることがしばしばである。
 認知機能障害は、検査をして調べてみないと、なかなか気づかれにくい。病気の症状がよくなったので、以前通りに仕事をしようとしても、認知機能障害は回復に時間がかかるので、なかなか思うように仕事ができない。気持ちだけが空回りして、病気が再発してしまうということになりやすい。すっかりよくなったと思っても、よくリハビリ的な訓練をして、認知機能の回復を図ることが大事である。

 四つのタイプがある
 統合失調症は、症状や経過によって四つのタイプがある。
もっとも若い頃から始まるのは、解体型と呼ばれ、十代から二十代の初めごろ発症し、幻聴や独語、空笑、ひきこもりなどの症状が慢性的に続くタイプである。いつとはなしに始まることも多く、最初は病気と思わずに過ごしているうちに、成績が落ちてきたり、ひきこもりになったりして、社会生活が困難になる。もっとも治療が難しいタイプだが、近年では、早期に治療することで、進行を食い止め、回復も良くなっている。
緊張型は、精神運動興奮を起こしたり、逆にスイッチが切れたように無反応となり、昏迷状態を呈するタイプである。このタイプは、かつては非常に多かったが、最近では少なくなっている。開発途上国には、現在もこのタイプが多い。人と人との結びつきが強く、自分を抑える社会では、このタイプを呈しやすいようだ。症状は激しいが、回復が良く、短期間に落ち着くことが多い。
妄想型は、比較的遅く発症し、幻聴や妄想を主症状とするタイプで、比較的回復が良く、仕事ができるまで回復するケースも少なくない一方で、妄想が慢性化し、非現実的な考えにとらわれたまま生涯を過ごすケースもある。慢性化した妄想は、取り去るのが非常に難しいだけでなく、万一妄想が消えた場合も、自殺などの危険が高まる。その人にとっては、妄想が生きる支えとなっていたのである。

 妄想性障害
 妄想があるからといって、即統合失調症というわけではない。先にも述べたように、妄想は、うつ病や躁うつ病でもみられる。これらの妄想は、過度に悲観的か、過度に楽観的な内容であることとともに、もう一つの特徴は、うつや躁が改善すると、妄想も消えてしまい、持続的な妄想ではないということである。それに対して、妄想型の統合失調症の妄想は、持続的で取り去るのが容易でない。もう一つ、持続的に妄想がみられる精神疾患がある。それが、妄想性障害である。
妄想性障害は、妄想を主たる症状とする精神障害で、統合失調症に比べると、他の面での機能低下が少なく、社会適応も良い。あまり病気に見えないことも多く、普通に仕事ができていたりする。妄想のことを語りだすまでは、異常な考えにとらわれているということに気づきにくい。
妄想の内容も、統合失調症の妄想が、現実にあり得ないような内容であることが多いのに対して、妄想性障害では、現実にあり得る内容なのが特徴だ。
 たとえば、被害妄想の場合で言うと、「CIAに追われていて、盗聴器をしかけられた」とか「今空を飛んでいるヘリコプターは、自分のことを監視している」といった突飛で奇妙な内容だと、統合失調症が疑われるが、「同僚が自分のことを嫌っていて、顔を背けて通る」とか「自分の顔が不細工なので、顔を見るたびに笑われる」といった内容で、かつ幻聴などの他の症状がない場合には、妄想性障害の方が考えられる。
 被害妄想以外に身近で起こりやすいものとしては、夫や妻が、浮気をしているに違いないと思い込む嫉妬妄想、自分のことを、ある人が愛してくれていると思い込む恋愛妄想、自分の顔や体が醜いと思い込む身体醜形妄想などがある。
 しかし、たとえば同じ恋愛妄想でも、自分は皇室の家柄で、有名俳優に愛されているといった内容を信じているとすると、現実にはありえない奇妙な内容であり、妄想性障害よりも統合失調症の可能性が高くなる。
 このように、妄想性障害は全体に症状が軽く、社会適応も良いのだが、何かのきっかけに症状が強まると、生活に大きく支障をきたしてくる。

 ある女性は、近隣に対する被害妄想を長年抱いていたが、夫の単身赴任やペットの死というショックが重なったとき、ペットの死を近隣住民の仕業と思い込むようになる。自分にも危害が及ぶという考えから、自宅にバリケードを築いて閉じこるという挙に出た。夫が赴任先から帰ったとき、家の中に入ることもできなかった。
夫によると、一時期より明るさが消え、隣近所に対しても警戒心や猜疑心が強まっていたが、あまり気にしていなかったという。
 精神安定剤の投与にて、速やかに回復し、明るい以前の状態にもどった。
 
 妄想にとらわれるようになると、顔つきが固く尖ったようになり、表情も乏しくなることが多い。心の柔らかさが消えると、顔の表情まで柔らかさが消えてしまう。明るさや笑顔が消えて、目つきがきつくなったと感じられるのが普通だ。
 中年女性には、昔から妄想性障害が好発するとされ、それには更年期や夫婦間の不満が関係している。もう少し年が上がり、夫が浮気のできない年齢になると、自然に良くなるという傾向もみられる。

 うつと間違われることも
 妄想性障害は、統合失調症と診断されだけでなく、表面的な症状だけを見ると、うつ状態(うつ病)のように見える場合があり、うつ状態と誤って診断されることも少なくない。その場合は、なかなか良くならず逆に悪化することもある。

二十代後半の男性。就職した職場のストレスから、意欲低下、抑うつ気分、焦燥感出現し、近くの精神科を受診したところ、うつ状態と診断され、抗うつ薬を処方された。しかし、一向に改善しないどころか、不眠やイライラが強まったため、転院してきた。話をよく聞いてみると、同僚が自分の足を引っ張ってくると言い、さらによく聞いてみると、自分の学歴を妬んで、ミスをさせるように仕組んでいると語り始めた。思い過ごしではないかと訊ねても、間違いないと確信している様子だった。うつ状態のように見えた症状の根底には、妄想による思い込みがあると考えられた。そこで、薬を抗うつ薬から精神安定剤に変更すると、症状は急速に良くなった。その後、仕事も続けている。


2019年02月09日